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川上正浩ブログ

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感想から考える(3)

 とある授業で,学生さんからこういう感想を頂いた。

 『図と地についてです。
 Twitter上でこのようなツイートを時々見かけます。
 「画像に映っている○○に夢中で後ろの☆☆に気づかない」。
 例えば,画像に映っている可愛い猫に夢中で後ろの壁紙の一部に仮面ライダーのシールが貼っついているのに気づかないなど。
 あまり面白い例えが浮かびませんでしたが,本来見て欲しいと思っているであろう可愛い猫の図から少し視点を変えて,貼り付いている仮面ライダーのシールを見てしまうともうそっちが気になって猫どころではなくなったりします。
 ぱっと見で入ってくる「図」だけでなく,「地」のように背景と化してしまっている部分にも視点を動かしてみることで新しい発見ができそうだと感じ,色々なところに目を向ける努力をしようと思いました。』

 図と地の話から,ここを思い付いてもらったのは,なんとなくしてやったりという感じがして嬉しい心持ちであった。
 そこで,以下のようにコメントした。

 それから,というコメントを頂いています。こういうことって結構ありますよね。
 こうした場面で興味深いのは,そもそも,最初からの思い込みです。
 どういう意味かというと,この人が挙げてくれているような猫動画の例で言えば,これ,猫動画を見ようと思って視聴しているわけですよね。
 これは猫動画だと考えている,と言っても良いです。
 こうした思い込みによって,図と地というのはあらかじめ誘導されてしまうんですね。
 一方で,面白いシールの映った動画だ,と思ってしまうと,もうそちらしか見えないですよね。
 要はその人の,動画の捉え方,ってことです。
 ついでに言うと,よく学生さんってさ,先生の口癖とかチェックするじゃないですか。
 中学生とか高校生とか,特にですけど,たとえば,先生が「〜〜ね。」と,語尾に「ね」を多用する先生だ,なんてことに気付くと,授業中に,「ね」の数を数える,なんてことをしたりしますよね。
 皆さんも身に覚えがありませんか?
 その時に何が起こってるか,なんですけれど,そもそも,語尾の「ね」,なんていうのは,授業の「 内容 」を「聴く」という観点から言えば,取り出さなくても良いもの,なんですよね。
 つまり,授業内容としての音声が「図」だとすれば,「地」として埋没すべきものなんです。
 ところが,その「ね」が多用されていることにある時気付いて,それを数え始めると,ここでは,まさに「ね」が「図」になってしまうわけですよ。
 そうなると,必然的に,わかりますか,授業の「内容」が「地」になってしまいます。
 要するに,先生がどれだけ力説しようと,何の内容も入ってこない,という状況になってしまうわけです。もったいない話ですよね。

 つまり,視覚的な情報処理においての図と地の分化というのは,こうした意味処理の文脈においても起こるのではないかという話である。
 当ブログでも,締めのセリフは,「って話ですけど」に決めているのであるが,これはこれで,どのように処理されているのだろうか。
 「そうニョロよ」みたいな感じで処理されているのだろうか。
 気になって仕方がない,って話ですけど。

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