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川上正浩ブログ

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葡萄の話を

 先回のブログ(「蓮実を彷彿とさせる」)で,サラッと「すっぱいブドウ」と書いてしまったのであるが,老婆心ながら,少し説明しておきたいと思う。

 イソップ童話(日本でも安土桃山時代から,伊曽保物語の名で翻訳,紹介されていたとのこと)にある,キツネとブドウの話がオリジナルである。

 歩いていたキツネが,美味しそうに実ったブドウを見つける。
 ところが,ブドウは随分と高いところになっているため,手に入れるのが難しそうだ。
 キツネは,一生懸命ジャンプを繰り返し,何とかしてこれを取ろうとするが,残念ながらどうしても届かない。
 遂にキツネはこれを手に入れることを諦め,立ち去るのであるが,この時,「どうせあのブドウはすっぱいに決まってる」と捨て台詞を残すのだ。
 英語ではこの「sour grapes」がいわゆる「負け惜しみ」を表す熟語となっているが,この寓話は心理学的にもかなり興味深い。

 臨床心理学領域では「防衛機制」というメカニズムが仮定される。
 「防衛」というくらいであるから,自らを守ろうとする心の働きである。
 人間には欲望があるが,この欲望は常に満たされるわけではないし,そもそも満たすことが常に適切かどうかも怪しい。
 この欲望がうまく満たされない場合,社会への適応が難しくなり,これに対して「自我」はさまざまな調整(防衛)手段を採るが,これを防衛機制と呼ぶのである。
 たとえば,自分自身が受け入れられないような出来事が起きたとき,人間はそれを自分の意識から追い出し,無意識の領域に押し込めたりする。
 これは「抑圧」と呼ばれる防衛機制である。
 そして,「すっぱいブドウ」にあるような,自分のとった行動が合理的で,正しいと思うための理由を見つけ出すことを「合理化」と呼び,これもまた防衛機制の一種なのである。
 つまりは,もっともらしい言い訳をして自分(の行動)を正当化することによって守ろうとするわけだ。


 あるいは。

 社会心理学の文脈では,この寓話は「認知的不協和」の話と捉えることができる。
 認知的不協和とは,人が矛盾する二つの認知を同時に持った際に感じる不快感を表す言葉である。そして,人は,その不快感を解消するために,その行動や態度を変容させると言われている。
 すなわち,キツネにとって,「あのブドウは美味しい」という認知(この場合は期待と言った方が良いかもしれない)と,「ブドウを手に入れることができない」という認知(と言うより現実)は,矛盾するものである。
 これは当然,不快感すなわち認知的不協和を感じる状況であるはずなのだ。
 そこで。
 キツネは,(「ブドウを手に入れることができない」の方を変容させることができないので)「あのブドウは美味しい」という認知を「あのブドウはすっぱい」に変容させ,認知的不協和を解消することになるのである。

 長々と心理用語の説明をしてきたが(本来的にはこのブログは教育目的で書いているわけではないのだが),要は川上が新型Mac Proのデザインを「なんだかちょっと思っていたデザインとは違う」と感じているのは,ひょっとして,これが「買えそうにない」ことの結果なのではないかとも見れるのである。
 買いたいという欲求が叶えられないことに対する防衛機制と考えても良いし,素敵なのに買えないという認知的不協和を解消するための手段と考えても良い。
 うーん,ブログと言うか,ただの講義ノートなのでは?という感じになってきたが,こうした解説をしていること自体,一種の防衛機制なのかもしれない。
 「知性化」と呼ばれる防衛機制は,現状についての認識を知性的な働きによって観念化し,難解な専門用語を使って語ったりすることで,強い感情に直面することを避けるという心の働きである。
 今回の長々とした心理学的説明って,まさにこれなんじゃ...って話ですけど。

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