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正規の授業期間が終了する

 気がつけば,正規の授業期間が終了した。

 とはいうものの,来週にはまだ補講期間が残されており,一方で諸々の入試業務なども始まっているので(当たり前であるが,内容によっては子細に記述することの適切性が問われたりするので,今日のところは何だかボンヤリとした表現で許していただきたい),なんというか何かが終わった気がしない。

 さらに言えば,授業期間そのものは終わったとしても,我々教員には成績評価という,楽しくも気の重い作業が残されている。

 「楽しくも」というのは正確ではないかもしれない。

 なにも“不可”の学生を出すのが楽しみというわけではない(当然である)。

 自分の教育の成果を確認する,という意味で“楽しみ”と言った方が正確であろう。

 もちろん必ずしもすべてが思うとおりというわけでもないので,落胆し反省することもあるわけである。

 そして,特に落胆の先にある「気の重い」作業が,“不可をつける”という作業である。

 大学の授業というものが一定の基準を設定した上でなされる教育的な営みである以上,その基準に満たない受講生に対しては“不可”を出さざるを得ない。

 大学の授業である以上,これを毅然としてやるべきであると考える一方で,この責任のいったいどれだけが受講生側(の学び方)にあり,どれだけが教員側(の教え方)にあるのか,ということに思いを馳せると,これは気の重い作業となる。

 以前某所で書いたことであるが,個人として「評価をする」場合は,これはむしろ快の方に属する行為であると思うのだが,仕事として「評価をする」場合には,責任も求められるし,客観性,信頼性,そして妥当性と,本来個人の枠組みになかなか入らないものが求められるので,その辺がプレッシャになる。

 結局,個人が行う判断が客観的であることというのはたぶん幻想に過ぎないのであって,判断が主体によってなされる行為である以上は,主観的にならざるを得ない部分があるだろう。

 たとえばマルバツテストの点数は客観的であるかもしれないが,どういう問題を出題するかは教員側の主観に委ねられるし,さらに言えば,「マルバツテストにするか否か」の判断も教員側の主観に委ねられるわけである。

 したがって,後はその主観がどの程度客観的であるかをどの程度客観的に呈示しうるかというのが客観的幻想を支える要となる。

 そして,その辺りの話には,総意誤認効果なんかも働くわけであるから,なかなか一筋縄ではいかないのである。

 

 ということで,春期はまだ終わっていない。

 ならここでブログ書いてないで,そっちの作業やれよ,って話ですけど。

コメント (3)

死神:

川上先生、お疲れ様です
「成績評価」、頑張って済ませちゃってくださいね☆
            川上先生のことが好きな死神より

川上:

ありがとうございます。
頑張ります。(てか頑張ってます!)

死神:

お疲れ様ですm(__)m

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