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授業の目指すところを語る

 この間からたまたまいろいろな場面で,「どんな授業がしたいか?」のような話をしている。

 そうした中で,自分自身が授業の中で何を重視しているのかというのがなんとなくわかってきた。

 

 どうやら自分の中では「びっくりする(させる)」ことがもっとも重要だと捉えられているらしい。

 しかもそれは,“よくできた推理小説のエンディング”的なびっくりであって,「これまでの様々な伏線がすべて説明されてビックリ&スッキリ」というようなものであるらしい。

 実際にそれができているかどうかは学生さん達の評価を待たないといけないが,ともあれそういう授業がしたいわけである。

 

 一方で,そういう“びっくりさせる”なんていうのは,ある意味では“テレビ的な”手法あるいはもっと言えば“ヴァラエティ番組的な”手法であって,学問の本道ではないとも思っている。

 そういえば,非常勤で集中講義を持っている某大学の学生さんから,「おもしろかったです!ぜひ“世界一受けたい授業”に出てください!」という感想をもらったことがある。

 件の学生さんにしてみればある意味最大限の賞賛であっただろうことを受け止めて,とても嬉しく思った(その時は思わず「もう受けてるやん…」と心の中で突っ込みを入れたが)一方で,それが学問としてのおもしろさと同質であるのかと,少し悩んだりもした。

 

 ともあれ,どんなにおいしい料理も食べてもらわなければ意味が無いと思われるので,学問的なおもしろさを味わってもらうための呼び水としては,ヴァラエティ的なおもしろさもアリだとも思う。

 そして,そこは認めるとして,次はどのくらいびっくりさせればよいかについて考えてみた。

 これはそもそも目指している“推理小説”が短編か長編かという問題であるとも言える。

 つまり1コマの授業の中で伏線を張って,そのコマの中で“落とす”のか,複数回の授業を単位として(つまりはいわゆる単元に当たる)伏線を張って落とすのか,あるいは,15回の授業をすべて受けると半年かけて張られた伏線が腑に落ちて終わる形になるのか,というところである。

 もちろんこれらは基本的には入れ子にできるはずなのでできればそういうなんとなくフラクタル的な授業がやれればよいのかもしれないが,自分がどこを重視しているのか,今のところ自分でも判然としない。

 

 ともあれ,いろんな場でいろんな議論を重ねていくことによって,良いアイディアもいただける可能性があるし,自分の視点も広がってくるのではないかと思う。

 うん,これこそまさに「聴き・伝える力」であり「気づく力」ではないか。

 本学のサイクルプロジェクトに思いを馳せて,この稿を終えたいと思う。

 結局我田引水か,って話ですけど。 

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